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01/05/2002

青木 克訓
Katsunori Aoki

青木克訓


ブルクレンゲンフェルドについては西ドイツ時代に4度訪独しています。

花園高校吹奏楽部より、なにも分からないまま参加した16歳の夏の演奏旅行から始まり、卒業後OBになってからも5度訪問しました。

毎回行くたびに街周辺の観光名所は行き尽くしてしまいまいたので、観光よりも、数年ごとに会えるお世話になったホストファミリーや友人(ブルクレンゲンフェルドのバンドメンバー)に再会する事が楽しみでした。

また、もっとも思い入れのあるのは単独で訪れた3度目の旅でした。

この時は現地でリュックを買いブルクレンゲンフェルド駅を出発して約三ヶ月半かけてドイツを一周、途中オーストリア・スイス・ルクセンブルク・オランダも寄り道しながらののんびりした旅でした。

貧乏旅行でしたので基本的に泊まりはドイツが発祥国のユースホステルを利用、ところが大きな街になると各国の同じような旅行者がユースに殺到するため午前中にチェックインしないと泊まれません。

安ホテル、そこもいっぱいなら野宿のパターンで何度か経験しました。

そこで朝早く出発して12時前までに到着できる範囲で、次の訪問地を決めるわけです。またそこが気に入れば何日も滞在します。

行く街ごとのユースで出会う旅仲間と情報交換をしつつ、一般ツアーでは決して行けない(行かない)所も含め貴重な体験をしてきました。

まあ、今にして思えばたっぷり時間があればこそ出来る旅ですので、あの当時いましか行けないと判断し実行して良かったと思っています。



チェルノブイリの核事故について

当時の西ドイツバイエルン地方で金曜の夜にアメリカホームドラマ『ダラス』が放映されていました。

人気の長編ドラマだったので、みんなTVの前にくぎ付けの最中、事故の緊急ニュースが飛び込んで来たのです。

後日の手紙と新聞記事でわかったのですが、発電所が燃え上がっている中継映像は、日本では放映されなかった様で強烈にいまでも目に浮かびます。

事故後毎日のように、昔日本でよく発令されていた『光化学スモッグ警報』みたいなものがTVの天気予報の時に風向きと共に流れていました。

さほど離れていても風向きによっては必要以上に屋外へ出ないようにとよく注意されたほどでした。

ブルクレンゲンフェルドの近くにバッカスドルフという村があり、そこが核廃棄物再処理工場建設予定地になっており、それでなくとも地元で反対運動が盛んだったのに核事故以後いっきに運動に火がつきドイツ中の反核運動メンバーが集まりだしました。

近隣の町で一番大きかったブルクレンゲンフェルドに次第に人が集まるようになり、

ナーブ川の大きな河原の広場で、正式名称は忘れましたが反核運動の為のロックコンサートが開かれました。


         



当時あまり洋楽に興味が無かった(今でもあまり無いのですが)ので、はっきりと思い出せませんが、ボンジョビ・バンヘイレン・ティナターナー(間違いかも?)と他にもBIGな出演者が生で見られました。


WWAコンサート

        1986.7.26/27 WAA Concert

NHKも来ていたので立ち見の客側にカメラが向くたびに、肩車をしてもらい映るのに必死だったことを思い出します。




シンバル付きバスドラ




バイエルンブラス特製、シンバル付きバスドラ



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